ネット世界との距離感

ネット世界との距離感

ネット世界との距離感

技術の進歩で年々インターネットでの世界が広がり、「できる」ことがどんどん増えています。

環境さえあれば、瞬時に地球のどこへでも連絡がつきますし、

規制や情報操作がなければ、情報の宝庫です。

本来、ネット世界は私たちの生活に役に立つものでなければならないものです。

しかし、どんないいものでも必ず「ダークサイド」はあるものです。

「包丁」も正しく使えばおいしい料理が作れますが、使い方次第で凶器にもなります。

技術はどんどん進化します。悪用もどんどん進化します。

ネット世界も、その「ダークサイド」を意識し、
場合によっては「覚悟」して使うべきだと思います。

1. ネット世界で安易に自己表現をすべき?

ネット社会となって以来、特に「人からどう見られているか」
「人からの評価」を気にしすぎる風潮が蔓延しています。

SNSなど相手の「匿名性」が高い世界で、安易に自らをさらけ出す一方で、

批判されると過敏に反応してしまったり、悩んだりするひとが多いようです。

意味がわかりません。

「共感してほしい」「シェアしたい」という気持ちに、
いつのまにか過度に偏りすぎてしまっていることが多いようです。

誰しも初めて投稿なり、アップしたときは、「よろしければ、どうぞ読んでくださいね、
見てくださいね。」程度の気持ちだったはずです。

それがいつしか、「注目を集めたい」「共感を得たい」ことにこだわるようになってしまうのでしょう。

「共感」と「妬み」は紙一重、表裏一体です。

利害関係がないときや一致しているときは「共感」してくれるでしょう。

しかし、利害が衝突すると「妬み」「ライバル心」が生まれます。
人間である以上、仕方のない感情です。

それらをうまく受け流し、やり過ごせるなら、どんどんネットでいわゆる「つながり」を求めればいいと思います。

ネットでも、参加者をよく知っているコミュニティーや、
善意のサイトならオープンな自己表現も構わないと思います。

しかし、善人ばかりではない不特定多数がいる世界、まして画像データからすぐに逆探知されてしまうような世界に対して、「インスタ映え写真」を載せることが自己表現のひとつと思うのは危険です。

自己表現とはそんなものなのでしょうか?

商売目的として、企業や団体の後ろ盾があるなら、すすんで自分を露出すればいいと思います。

しかし、弱い一個人である私たちは、リスクがあることを頭に入れて、SNSなどを利用すべきなのだと思います。

2.お互いの「違い」との距離感

リアルの世界でもネット世界でも、人との距離感が大切です。

近ければ絆を感じられる反面、自分の領域にもズカズカと入ってくることもあります。

「自分の生活スタイル、考え方はこうだけど、それでもよければおつきあいしましょう。」

ぐらいの心持ちでいるほうが、自分らしさを保て、相手のことも尊重できるはずです。

なぜなら、相手に対しても同じスタンスで接することができるからです。

絆を深めるには何もかも共有しなければいけないなどと、
いつのまにか勘違いしてしまっているような気がします。

それゆえ、少し違いが見つかると、排除したり批判したりという行動になってしまうのでしょう。

人間、誰しも自分との違いを簡単には認めたり、納得できたりはできないものです。

みんな、「自分が一番、自分のほうが正しい、趣味がいい、センスがいい」などと
心のどこがで思っているものです。

ですから、自分との違いを感じた時には、
「ああ、そうなんだ」「違いがあってあたりまえだよね」ぐらいの認識でいるべきだと思います。

違いを突き詰めたところで何になるのでしょうか?

何せ、結局のところ「自分が一番」なのですから、それが正しいのか、
間違っているのかなど、お互いの違いに優劣をつけるのは無意味ですし、

個々の事情を考えた場合に、常識のほうがおかしい場合すらありますので、
すぐに決めつけることなどできないのです。

もちろん、迷惑、反社会行為にあたるものは「間違っている」と即座に判断すべきですが、

ネットで知った情報源もわからない噂に対して、匿名であるのをいいことに、
すぐにあれこれと批判する、いわゆる「ネット炎上」ほど無意味なものはないと思います。

炎上することで注目を集めようとする「炎上商法」すらあるわけですから、
抗議の姿勢としては「無視、無関心」が効果的なのでしょう。

当然存在するおたがいの「違い」に過敏に逐一反応するのではなく、

むしろ「自分のスタイル」を追求するほうが楽しいでしょうし、

「あなたのそれも、時にはアリよね」などと、相手の違いをも自分のものにするぐらいの
寛容さがあるほうが、自分も精神的に楽なのです。

自分のスタイル、自分らしさを忘れ、相手との違いに過敏になるのは、
自分を必要以上に追い詰めるだけで何もいいことはありません。

リアル世界よりネット世界のほうが広いわけですから、
無責任な不特定多数の批判にわざわざ自分をさらす意味はないはずです。

ネット世界の本来のいいところは、良かれ悪しかれ、「情報量が多い」「連絡/反応が早い」ことです。

あふれる情報の中から、自分の腑に落ちるものや、
自分にとって有益なものをしっかり取捨選択できる判断力がネット世界と付き合う上で非常に大切になります。

個人のプライバシーなどネット世界では、その気になれば簡単に暴かれてしまいます。

暴かれないのは、暴く側にメリットがない時や、「善意」「モラル」という薄いガードで守られているときです。

ネット世界に自分のプライバシーを投稿する時は、そういった危うい立場で行うのだということを認識する必要があります。

3. 5Gは私たちの味方か?

莫大な情報量を送受信できるとされる5G技術が話題です。

車をはじめとする色々な生活機器をネットで接続することが一層容易になるようです。

「接続しやすい」ということは「ハッキング」もされやすい、またはハッキングされる対象物が多くなるということです。

今までならPC,スマホが対象でしたが、車もハッキングの対象となると、
私たちの安全を脅かすことは間違いありません。

自動運転車両が増えてくると、それらがハッキングされれば運転者だけでなく
歩行者すら巻き添えを食らう事故が増えるでしょう。

”そんなのメーカーがちゃんとするんじゃないの?”と思うでしょう。

もちろん、みんなそれを希望していますが、
今でさえ大企業がらみの情報流出やハッキングされたという事例が多くあるのですから、
楽観視はできないのだと思います。

残念ながら5Gの基地局建設数は中国がトップです。

アメリカや欧米諸国もその辺を危惧していますので、中国のIT関連企業をアメリカは締め出しにかかっているのです。

米中貿易戦争の根っこは、そのような情報戦争にあるとされています。

科学技術の進歩は「悪用しない」ことを前提に進められています。

しかし、実際は人間を含めすべてのものには「ダークサイド」が存在します。

便利だからと、安易にネット世界にプライバシーをさらしたり、何にでもPC,スマホに
接続させてしまう前によく考える必要がもっと増えてきます。

「本当に自分にとってそれは必要か?」「本当にメリットがあるのか?」「アナログではだめなのか?」

そんなことをよく考え、ネット世界からは自分に必要な情報を正しく選択し、
利用する感覚を身に着けてこそ利用価値があるのだと思います。

4.日本も実は情報弱者

中国は共産党により国内の情報が統制、操作されているのは有名な話ですが、

日本も国内の情報発信を国に規制こそされていませんが、海外のニュースに対しては
非常に弱いのです。

信じられませんが、ずいぶん前から中国とは「中国のことを悪く言うような報道をしない」

という記者協定が結ばれているとのことです。

ですから、基本的には中国共産党が許可した内容だけ日本国内で放送されているのです。

アメリカのメジャーなメディア企業でも、中国資本が入っているところが多いようですので、
日本がそこから仕入れるニュースも脚色されているようです。

トランプさんがFOX社以外を毛嫌いするのはそのあたりの事情もあるようです。

比較的言論の自由が許されている日本が、なぜこうも情報弱者なのでしょうか?

一つの理由としては、日本国民が外国語に疎いからです。

外国語が分からない日本人が多いため、自分たちで現地の報道を入手できないからなのです。

善かれ悪しかれ、ネットでたやすく現地の英字新聞は入手できるのですから、

欧米人のように大卒であれば英語は分かるという人口が、圧倒的に少ない日本は、

現地情報を各国のメディアからの提供に頼らないと仕入れられないことが多いようです。

ですから、日本のメディアは各国の政治的圧力に忖度した内容しか報道できないことが多いようです。

信用できるのは天気予報とスポーツニュースくらいかもしれませんね。

5.まとめ

ネット世界だけが自己表現の場ではありません。

むしろ、リアル世界でどう存在感を表すかを考える方が大切です。

それにはやはり自分の得意分野に磨きをかけることが、一番の近道です。

自分にとって正しく、有益な情報を選び取る場所がネット世界の使い方です。

悪意のある不特定多数が存在する以上、個人のプライバシーをさらすのではなく、
商売や宣伝のツールとしてSNSは活用すべきだと思います。

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