目覚め
朝起きたとき、正常な皮膚に包まれた人間なら、どんな目覚めなのだろうか。窓から部屋に差し込む朝日の温かい光が、その人を優しく起こしてくれるのだろうか。すぐに上体を起こして、朝ごはんは何にしようかと考えるのだろうか。休日なら、もう一度寝ようかと考えるのだろうか。
なかには悪夢を見るという人もいるだろう。幽霊から襲われたり、誰かに追いかけられたり、あるいは交通事故に遭ったり、大事な家族が目の前で死んだり、手や足の指が順番に切断されたり、そんな生々しい夢を見て、もがき、苦しみ、まるで何かに抵抗するようにうなされ、起きたときには全身に汗をかいている。こうした悪夢の目覚めは、多くの人が体験することだろうけれど、しかし、僕の場合は、目覚めが悪夢の始まりなのだ。
重度のアレルギー体質で産まれた僕は、当然アトピー性皮膚炎で、僕の身体を包んでいる皮膚は、僕の身体を攻撃する。僕の皮膚は、象の皮膚のように固く、断層のように割れていて、まるで地割れを起こした荒れた大地のような、約六割が水分で出来ている人間の皮膚とは思えないほど乾いた皮膚を身に纏っている。これがアレルギーの免疫異常のせいだと言うのだから、耐えられるようなものではない。
アレルギーの免疫異常は、簡単に言えば、体内に侵入したある刺激に対して、体が勝手に敵だと判断し、それを過剰に排除しようとするもので、常に免疫が混乱している状態だ。これも敵、あれも敵、それも敵だと言って、まるで僕の免疫が悪夢でも見ているかのように、常にうなされているのだ。しかも、これが重度のアレルギーとなれば、対処しようがない。
光が駄目だから、まず朝日が駄目だ。汗も駄目、熱も駄目、埃も駄目、カビやダニも駄目、皮膚が敏感になっているから、皮膚が少しでも何かに当たるだけで駄目、このなかで一つでも僕の身体に触れると、僕の免疫がそれを攻撃し始めて、皮膚がかゆくなるどころか、循環器系の内臓機能が著しく低下する。
しかも、僕のように避けなければならないことが多いと、避けようがない。ここまでなると空気を吸うことだけでも、常にウイルスが体内に入っているときと同じように、免疫が過剰に働いていることになる。当然、体のエネルギーを常に浪費している状態だから、疲労はたまるし、体力も落ちて、集中することができなくなる。内臓は疲れて、悲鳴をあげる。呼吸する、という生きるための行動を、僕の体が「有害」だと勝手に判断しているのだ。
そんな僕が、快適に眠れるわけがない。寝るときは当然布団に入る。敷布団の上に寝れば埃が体につくし、ダニもいる。掛け布団をかぶれば体が温まって熱を持つし、そうなると汗もかく。熱や汗を避けようと思ってクーラーをつけても、そのクーラーのせいで埃は舞うから、対処しようがなかった。
寝起きの朝日は、悪夢を告げる光なのだ。全く無防備の状態で、寝ている間ずっとウイルスを体内に受け入れているようなものだから、全く内臓は休まらないし、疲労が取れるどころか、寝る前より寝起きの方が疲れている。寝ている間に全身の皮膚に爪を立てて掻くから枕は血まみれ、爪の中には血で固まった皮膚の塊が詰まっている。快適な睡眠などした記憶がなく、僕の身体が一秒でも休めたという感覚もない。それでも生きるために寝るしかなく、寝ると、決まって目覚めの悪夢がやってくる。
どうやら僕の身体は設計に失敗したようだ。設計者と、僕の身体が喧嘩している。よく話し合ってくれたらいいのだけれど、その設計者は姿を見せない。僕を作っておきながら、その説明がない。眠らないと生きられないように設計したなら、眠れるように設計してほしかった。こうして文章を書いている今も、文字を打つ両手に、大量の蟻が群がるような不快感とかゆみに襲われるし、ずっとお腹を壊しているから、腹の下で熱い胃液のようなものを常に感じている。その上、食物アレルギーの僕は、小麦粉、卵、牛、鶏、豚、甲殻類、乳製品が食べられないから、栄養のバランスも十分に取れない。エネルギーが減っていく一方で、それを補う食事も制限されている。
「生きる」とは何ですか? 生きるための行動がこんなに制限されている状態で、どうやって人並みに生きればいいですか? 運動もできない、睡眠もできない、食事が有害、呼吸が有害、そんな馬鹿な話がありますか。毎日寝て、当たり前のように悪夢にうなされる。朝起きて、全身にひろがる狂うほどのかゆみにうなされ、十分に回復していない体で上体を起こすことも苦労して、眩暈を起こしたときのような吐き気に耐え、頭に血が足りていないのか視界は点滅している、これで「目覚めた」と言えるのだろうか。目覚めがこんなにも苦しいなら、もういっそのこと目覚めないでくれと願うのは、僕が弱いからですか。
僕の身体は、一日中、寝ている間も、こうして体内のなかで決闘を続けている。誰に命令されたわけでもなく、僕が産まれたときに「生きること」を約束した僕の身体は、その約束を果たそうと毎日死闘を繰り広げているのだ。そして「死ぬ」ことが約束されていると知った僕の理性が、こうして生きるために闘っている身体に応えるために、新たな決闘を申し込む。それを人は「人生」と呼ぶが、僕はこれを「目覚め」と呼ぶ。
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