「外なる神様」「内なる神様」

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「外なる神様」「内なる神様」

「外なる神様」

 ①宇宙と地球のちからの流れ

地球を含めたこの宇宙は解明されていないことがまだまだ数多く残されています。

しかし、その成り立ちや現状はほぼ「物理法則」や「化学法則」に従っているといえます。

物理/化学の法則が成り立つということは、色々なものが「相互作用」をしているということです。

相互作用により、お互いに影響を及ぼし、破壊したり、新たなものを作り出したり、「動き」や「流れ」を作り出します。

例えば無数に存在する星たちは、宇宙に漂う「ガス雲」が渦巻き状に回転しながら「中心核」を作ります。

この中心核が「星の素」です。星の中には、この中心核が超高温になり、やがて爆発するものがあります。

爆発によってまた「ガス雲」が形成され、新たな星が生まれるという「循環システム」があるのです。

私たちの地球に目を向けると、地球は太陽と月の影響を大きく受けています。

太陽により地球の天候は大きく影響されます。 月の満ち引きにより少なくとも海洋生物は影響を受けています。

そして地球の天候や海洋生物の状態は、私たち人間の生活に大きな影響を及ぼします。

ご存じのように太陽の力で海水が雲を作り、雨を降らし、水が川を流れ土地を潤しながら海へと戻っていきます。

物理/化学の法則に基づく「相互作用」の結果として、ここでも地球の大自然の「循環システム」は成り立っています。

条件がそろえばエンドレスに続く宇宙や地球のこうしたとてつもない「動き」や「流れ」のなか、

ちっぽけな私たちは生きています。

ただ、その動きを実感しにくいだけなのです。

実感しにくい例として、地球の自転があります。

地球の自転は、上述した「ガス雲」が回転して中心核を作る動きの名残りですが、

時速1700㎞という人間にとってはすごい速さで動いています。

ただ、周りの空気も一緒に動いているので、私たちはその速度を実感しないのです。

しかし、私たちはそのような大きな動きの中で生きているのは事実なのです。

つまり、我々にはどうすることもできない、そのようなとてつもない大きな「動き」や「流れ」が

「外なる神様の力」のひとつではないかと思います。

これらの偉大な「動き」や「流れ」を我々はコントロールできませんが、

幸い、物理/化学の法則で解明できる以上、人類の英知でその動きを察知することはできるようになりました。

察知はできても抗えない私たちができることは、

その「動き」や「流れ」にうまく乗ったり、回避したりすることです。

地球の大自然の循環システムが穏やかな時はその恩恵にあずかり、

荒れ狂うときは息をひそめて回避することが、「外なる神様の力」とうまくつきあう方法だと思います。

人類の科学技術は、十分にそれができるところまで達していますが、

実際に活用し、実施できていないのが現状だと思います。

(理由は改めて別ブログにてお話しします。)

②「気」の流れ

「外なる神様の力」は宇宙や地球の偉大な循環システムだけではありません。

我々の地球上の生きとし生けるもの全てが、お互いに影響を与えながら生きていますが、

そのうちの「見えざる力」として「気」が挙げられます。

「気」とは人々の熱気、歓喜、しらけた空気などに代表されるものです。

これらが、見えない流れや動きを作り人々に影響を与えるというものです。

分かりやすい例として、スポーツの大きな試合などの息詰まった局面で、観衆の固唾を飲む雰囲気や

アスリート達を応援する熱気が、試合の行方に影響を与えることが多くあります。

その場にいる観衆だけでなく、テレビやネットを通じて観ている人々の思いも伝わる場合もあります。

それはその一戦までのプロセスが「流れ」を作っているからです。

その辺は2019年のラグビーワールドカップで皆さんも実感していることと思います。

人々がいる限りその「思い」「愛情」「憎しみ」「ねたみ」などが存在するわけですから、

私たちの日常生活はそのようないろいろな「気の流れ」の中で過ごしているのです。

人間だけでなく動植物にも「気」が存在するように思います。

世界各地で昔から「森の妖精」や「木の妖精」など妖精にまつわるおとぎ話や民話が多いのも、

木や花や森の「気」を感じ取り擬人化したかったからではないでしょうか。

現在のように昼夜を問わずにぎやかな環境ではなかった昔の世界では、

人々の想像力や感受性はもっと豊かだったのだと思います。

それゆえ、木や花や森の「気」を感じ取ることができたのかもしれません。

そのような「気」も漂っていたり、「流れ」を作っていたりします。

その証拠に「気運」という言葉があります。

"オリンピック開催へ向けての気運が高まってきた"などと表現します。

雰囲気や世論がその方向に流れ、後押しをしていくということです。

(ちなみに、「機運」はタイミングが良くなってきているということです)

ですから「気」は「流れ」を作るものだといえます。

③ 「見えざる流れ」

そして気運を逆さまにすると、私たちが占いなどで知りたいと思う「運気」となります。

これは、上述の宇宙と地球の循環システムに代表される物理的な偉大な力と、

人々や動植物が発する「気」の流れに、

「見えざる流れ」が加わった総合的な「流れ」だといえます。

「見えざる流れ」は各人の置かれた環境や個人の「思い」がベースとなり、本人の周りを流れるものですので、

環境が変化したり、「思い」が変われば「見えざる流れ」の種類も変化してしていくものです。

つまり各個人によってその流れは違うものです。

この「見えざる流れ」を敢えて一言で表現するなら、

人や物事との「めぐり合わせ」だと言えます。

疎遠だった人との偶然の出会いで環境が好転したり、好条件の話が偶然舞い込んできたりというめぐり合わせは、

自分の力で直接的にコントロールできることではありません。

巷で耳にする "引き寄せの法則"はこのコントロールできないめぐり合わせを、

少しでもコントロールしようというものだと思います。

引き寄せるというよりも、常に流れているものから「取捨選択」するということのほうが現実的ではあります。

(「見えざる流れ」の中には、自分にとっていいものもあれば、悪い影響を与えるものもあります。

それらは常に周りに流れ、漂っているのですから、引き寄せるというよりも選び取るというべきなのだろうと思います。)

このように宇宙や地球の偉大な力や、人びとや動植物の発する「気の流れ」、

そして「見えざる流れ」は、私たちが努力したところで操作ができるものではありません。

つまり完全な「他力本願」の領域です。

それゆえ、私たちはこれらを感覚的に「神の領域」と感じ、

それらが自分にとって好転するように祈るのです。

これらを総称して「外なる神様の力」なのだと思います。

「内なる神様」

①「内なる神様の力」とは?

それは私たち各人が持つ「信念」や「思い」です。

「自分はこうありたい」という目標や、他者や物事に対する「感謝」や、

大切にしたいという「思い」や「愛情」の強さ、そして自分の未来への「期待感」などです。

自分を支える中心核のような思いや信念、そして愛情は自分の努力や考え方次第で豊かにもできますし、

乏しくもなります。

そのように自分を支えてくれる「思い」「信念」そして感謝を含めた「愛」は

自分の心と共にある「内なる神様」と言えるのではないでしょうか。

その「内なる神様の力」を借りれば、どんどん自分を成長させることができますし、

自分の人生のベクトルが強く定まります。

自分の「内なる神様」の存在を意識できずにいるうちは、

他力本願である「外なる神様」にただ漫然とお祈りし、すがってしまうのだと思います。

逆に「内なる神様の力」を信用できるようになれば、

外なる神様への祈り方や、特に「見えざる流れ」の解釈の方法が自分なりに見えてくるはずです。

「外なる神様」「内なる神様」の存在を意識できた時、

神社仏閣でただ漫然と祈るだけ、あとは何もしないという考えはなくなっているでしょうし、

双方の大きな力を次第に感じるようになってくるのだと思います。

そして「内なる神様の力」が強くなればなるほど、「外なる神様」の特に「見えざる流れ」を

うまくつかんだり、うまく流れに乗ることができるのです。

②「見えざる流れ」を取捨選択しうまく乗る

「見えざる流れ」は無数に存在しています。

自分の人生を豊かにしてくれたり、目標に近づけてくれたり、気づかせてくれたりするのは

どの流れにどのタイミングで乗るかで変わってきます。

例えるなら、無数にあるプラットホームでどの電車に乗るのかを決めるようなものです。

それには「内なる神様」が見えていないと、方向すら分かりませんのでどの電車に乗ればいいのか決められないのです。

もちろん、電車には乗らないという選択肢はありますが、自分の周りの環境はどんどん変化していきます。、

確実に、自分や親は年をとります。家族、友人知人の環境は自分の都合などと無関係に変化していくでしょう。

同じプラットホームには居られなくなってくるのです。

どの電車に乗ればいいのか分からないからといって、直感だけで電車を決めるでしょうか?

それもひとつの「めぐり合わせ」を生むかもしれませんが、それは最終手段です。

やはり、普段から少しずつ自分の「内なる神様」を育てて、電車を選ぶ際に相談できるようにするのが

ベストなのです。

③「内なる神様」を育てるには

「信念」や「目標」「思い」「愛情」が自分には見えないと思うなら、

まずは、「感謝」の気持ちを持つことから始めましょう。

感謝の気持ちすら湧いてこないというときは、最初はフェイクでも構いません。

感謝の態度をうわべだけでも取るようにしましょう。

「習い、性となる」という言葉にもあるように、

最初はフェイクでもやっているうちに本当に身に備わってくるものです。

たとえ、今置かれている環境がアゲインストであっても、重篤な病気でないならそのことに感謝しましょう。

例えば「自分は行こうと思えば、どこへでも行ける」なら、

そのことに感謝すれば、それ自体が自分の気持ちを後押ししてくれるようになります。

「感謝の気持ち」が理解できない人は、

感謝をすることで "人に媚びている" "自分の格を下げる"などとイメージするようです。

表面的にはそのように見える場合もあるのかもしれませんが、

「感謝の気持ち」は「自分の内面的なこと」ですので

"媚びる"などとは無関係のものです。

どうしても"媚びる"というイメージが抜けない人は、とにかく物事に感謝をすることから始めましょう。

「いい天気で気持ちいい、ありがたい」「バーゲンセールでいいものがゲットできた、ありがたい」など、

小さな物事からしっかり始めてみましょう。

「感謝」できる場面や事柄があるということは、

それだけ「自分にとって幸運」なことが周りにあるということです。

どんな小さなことでも「ありがたい」と思えば思うほど自分の気持ちを支えてくれます。

淀んでいた自分の気持ちを少しずつでもアゲてくれるようになります。

気持ちが上がってくれば、「愛情」や「思い」「自分への期待」も抱けるようになり、

「目標や信念」に目を向けられるようになります。

それほど「感謝の気持ち」のパワーは強く、そして自分を上昇させてくれるのです。

自分の「内なる神様の力」を信じて育て、「外なる神様の力」に畏敬の念を持ちつつも

「見えざる流れ」をうまくつかむことで

人生の歯車がしっかりかみ合ってくるのだと思います。

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