伝統

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「伝統」と言われれば何か古風で厳かなものとしかイメージしませんが、それだけではありません。

以下は伝統についてのある評論家のコメントです。

「伝統とは長きにわたって伝わってきたものですが、

その間、色々な紆余曲折があったり、戦火を潜り抜けてきたり、時代の変遷に飲み込まれそうになりながら、

生き残るために時代に合わせる部分はあっても、核の部分は変えずに生き残ってきたものです。

つまり、残るべくして残ったものであると言えます。」

なるほどと思います。

世界は急速にIT/デジタル化が進み、アナログ的なものは時代遅れのように受け取られますが、

人の心というものは非常にアナログ的であると思います。

従って人の心をひとつにしたり、まとめたりするには、利便性や効率性などデジタル的な要素だけでは限界があり、

普通の人なら誰しもが持つ「心の機微」や「最後に心が求めるもの」に訴えることが最終的には必要なのだと思います。

先ごろ天皇陛下の即位の礼がありました。

数々の厳かな儀礼に則り、つつがなく執り行われました。

数々の儀式はデジタル的思考で見れば、「時間のかかる無駄なもの」と捉えられるでしょう。

しかし、それら儀式は2000年近く行われてきた「伝統」であると再認識すれば、

「残るべくして残ったもの」であることに気付きます。

単に「ずっとやってきたこと」などと済ますことではなく、

時代の波に翻弄されながらも「生き残ったもの」だと気付けば、

それを行うことの意味も理屈ではなく感覚的に腑に落ちるのではないでしょうか。

先日執り行われた数々の儀式もすべてが昔のままではないでしょう。

時代に合わせ変化した部分も多々あると思います。

しかし、少なくとも日本という国に生まれた日本人は、

昔から皇室(天皇家)が行う伝統的儀式によって

日本人の心をひとつにできることを感覚的に理解していたのではないかと思います。

残念ながら第二次世界大戦の敗戦により、GHQ(連合国軍総司令部)の情報統制、情報操作により、

天皇の戦争責任という考えが日本人に植え付けられました。

それにより、決して少なくはない日本人が皇室に対し依然「疑心暗鬼」のままでいることも事実です。

ではなぜ、GHQはそのようなことをしたのでしょう?

それは皇室というものが日本人にとって「求心力」のある存在であること知っており、

その存在を恐れたからです。

実際、戦後すぐに多くの宮家を廃止し、皇室の息の根を止めにかかりました。

しかし、完全に皇室を無くしてしまうと、日本人の捨て身の反逆が起こりかねないとして

最低限の粛清にとどめ現在に至っているようです。

勿論、「戦争」という最終手段を選んだ日本にも大きな責任があることは事実です。

例えばオランダとは日本がインドに攻め込んで、

多くのオランダ人を虐殺したなどとして長い間確執がありました。

しかし、そもそもなぜオランダ人はインドにいたのでしょう?

オランダ、イギリスをはじめとする西洋諸国は、すでに多くのアジア諸国を植民地化していました。

恐らくいずれは日本も属国化しようとしていたのでしょう。

西洋諸国とはそれまで友好関係あった日本ですが、

ロシアを破ったことにより各国から危険視され、

エネルギーを輸入するルートを制限されてしまいます。

アメリカがよく使う手です。

戦争に踏み切ってしまった日本は敗戦し、

開戦までのプロセスはすべて情報操作により封じ込められ、

天皇の戦争責任を刷り込まれてしまいました。

昭和天皇の側近だったある外交官の手記が最近発見されたようです。

そこには昭和天皇がGHQのマッカーサー元帥に、

自分の命と引き換えに日本国民を助けるよう交渉したと書かれていたようです。

真偽のほどは定かではないですが、そのような手記は公表すらされていません。

幸い、平成天皇や令和天皇の国民に寄り添う姿を日本国民が目にする機会が増えたことで、

「疑心暗鬼」に陥っている世代も少しずつ雪解けを感じてきています。

最近は“社会のグローバル化”がいかにも進歩的な考え方としてもてはやされていますが、

安易なグローバリズムは、無秩序なヒト、モノ、情報の往来を許します。

その中には日本の文化、風土にそぐわないものも多々あります。

(すべてのグローバリズムが悪だと言っているのではありません。

無秩序に行き来させるのは危険だということです。)

「温故知新」という言葉があるように、「伝統」の大切さを知らないと

目新しいものがすべて“善”であるかのような考えに流されてしまう人間が増えていくかもしれません。

安易なグローバリズムは自由が許される反面、

個人主義に偏りがちで、無責任な人間も増えていく可能性もあります。

「今の時代だけよければいい」「お金さえ儲かればいい」「自分だけ良ければいい」

という考え方がどんどん日本人を洗脳してきています。

本来、日本人のDNAとして「お互いさま」、「助け合い」の精神が旺盛だったはずです。

それが日本人の「愛国心」というものでした。

戦後、「愛国心」という言葉さえ「軍国主義」などと歪曲されてきました。

救いは、被災地を訪れてくれる若いボランティアの人たちをニュース映像で見かけることです。

まだ日本人にも、「お互いさま」、「助け合い」の精神を忘れていない人がいるんだと。

先日の令和天皇のお言葉の中に印象的な一文がありました。

「日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。」

“日本人は助け合いの心でひとつになる(統合される)。その日本人の心を表すような皇室でありたい。"

そのようにおっしゃっているような気がします。

日本の「伝統」としてこれまで生き残ってきた皇室を、

即位の礼を機会にこれまでとは少し違った眼差しで

見つめていかれてはいかがでしょうか?

日本人として最後に心が求めるものが見えてくるのではないでしょうか。

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