ゆっくりでも、しっかり幸せをつかむ方法 7

ゆっくりでも、しっかり幸せをつかむ方法 7

ゆっくりでも、しっかり幸せをつかむ方法 7

「幸せの定義」

どうなれば自分は幸せなのだろう?

みなさんはもちろん「幸せになりたい」と思って日々努力を重ねたり、働いたり、勉強したり、辛いことにも
くじけずがんばろうとしています。

では、みなさんにとって「幸せである」こととはどんなことでしょう?
一度しっかり考えてみましょう。

人の欲望はエンドレスですが、それはほとんどの場合において「物欲」と「自慢欲」です。

「物欲」は不要と思えるものでも、新しいものを目にすると欲しくなります。
「自慢欲」は、少しでも人より上でありたいと見栄を張ったり、無駄な競争をしたりします。

しかし、おそらくみなさんが感じる「幸福感」はもっと別のところにあるはずなのです。

それが自分の中でクリアになれば、「物欲」「自慢欲」は急にしぼんでしまうでしょう

なぜなら、それがクリアになれば、必要なものは自然と集まりますし、本当に必要な人たちが集まってくるのです。

仮に、「金銭的に裕福な生活がしたい」ということが自分の幸福感を満たすものだと考えていた場合、

いったいどの程度裕福なら幸せと感じるでしょうか?

例えば宝くじで10億円手に入ったとします。

もちろん物質的にはすぐに豊かで便利な生活ができるでしょう。

他人にも見栄をはり、自慢できるでしょう。
欲しかったものが手に入り、あくせく働くこともないでしょう。
好きな時に目覚め、好きな時に眠れます。

子供がいる家庭では、子供にも贅沢な暮らしをさせることができます。
子供と過ごせる時間も十分に取れるでしょう。

自分がやりたかった習い事や趣味で、
毎日のスケジュールがいっぱいになる日々を過ごせるでしょう。

しかし、数年もすれば、ひと通り自分が欲しかったものも揃い、
そのことで人に自慢するのも飽きてきます。

習い事や趣味もひと通り経験し、マンネリ化するかもしれません。

子供たちも成長し、子供たち自身の生活環境ができあがり、親とべったりというわけには
いきません。

つまり、いくら金銭的に裕福な環境になっても、数年もすればまた不満が溜まり、
「満たされない」気持ちが大きくなってきます。

なぜでしょう?

人は「善」の部分と「悪」の部分でできています。

これらが、自分の置かれた状況や環境により、「善」がでたり「悪」がでたりします。

個人的には、人は究極的には「善」であると思います。

例えば災害が起きた時には、われ先にと人を押しのけてでも自分が助かろうとするでしょう。
こんな時は「悪」の部分が出ます。

しかし、もう自分は助からないと悟った時には、おそらくそばにいる自分より若い人たちや、
子供たちを助けようとするでしょう。

つまり、人は最後には「善」で終わろうとするものだと思います。

人は「人に喜んでもらえる」ことが、実は自分にとっての最大の喜びなのではないでしょうか?

そういう心が、たとえ自覚がなくても必ず潜在的には宿っているものだと思います。

そして多くの人がそのことに気づいていません。
気づいていても重要視しません。

「人に喜んでほしい」という願望が、実は自分の日々の努力や幸せになりたいという
気持ちを維持する大きなモチベーションなのです。

例えば医療研究者、従事者は「難病を直したい」「病気で苦しんでいる人を助けたい」という思いで日々研究、
治療しています。

お金や名誉のためだけでは、ストレスいっぱいの日々を到底乗り切ることはできないでしょう。

たとえみなさんが今、「人に喜んでほしい」と思える状況になくても、
将来、みなさんが幸せな日々や充実した日々を送ることで、
間違いなく周りの人にも良い影響を与えます。

ブスッした人より、にこやかな人のそばにいたいと思うのは当然のことですし、
そのことで周りの人の気持ちもほぐれていき、空気も良くなり、好循環を生み出します。

みなさんが「人を喜ばせたい」と意識しなくても、
みなさんが幸せになることで、結果として人のためになり、人を喜ばせることにつながるのです。

「他者への貢献」

話を戻して、金銭的に裕福でも満たされない気持ちになるのは、
「他者への貢献」がそこに入っていないからなのです。

「他者への貢献」は何もボランティア活動のようなものだけではありません。

無償ではなくても、自分がおこなったこと、自分の存在が人に役立っている、
喜んでもらえているということです。

分かりやすいところでは、歌手やスポーツ選手もそうです。

自分の歌やプレーでほかの人たちが喜んでくれる。
そのことで、自分にも金銭的余裕が生まれる。

売れる、人気がある、などは結果的な表面上のことですが、
自分のおこなうことが「ほかの人たちの喜びにつながってほしい」という思いがあってこそ、
良い結果が生まれるのだと思います。

私たち一般人の仕事でも、必ず「他者への貢献」がベースになっています。

外食産業なら「おいしいものが食べたい」という思いでやってくる人たちの役に
立っているでしょうし、自分が出荷したり運んだ荷物は、必ずその先で待っている人がいます。

「他者への貢献」なくしてどんな仕事も成り立たないのです。

仕事としてうまくいかないのは、そういった部分が欠けている時だと言えます。

仕事への思いが感じられなくても、子供を育てているなら、あなたがいることで子供たちは
喜んでいるし、生きてけるのです。

どういうことや、どういう状況が自分にとって幸せと感じるのかを感覚的でもいいですから、
自分の中でクリアにしようと心がけることで、今後の人生の展開が大きく変わっていきます。

とはいえ、最初から「人に役立つためには?」などと堅苦しく考える必要はありません。

「自分は何をしている時が楽しいのか?」「何が得意なのか?」
それをしっかり考えてみましょう。

そして、そのことが自分だけでなく、ほかの人にも喜んでもらえたり、役に立つ方法があるのか?
と心のどこかに常にそんな気持ちを持っていれば、必ずそのチャンスを見つけられるはずです。

家族、仲間と過ごしている時や、趣味に勤しんでいる時が楽しいときかもしれませんが、
毎日、仕事や勉強に追われる日々ですので、そんな機会は頻繁に訪れません。

そうすると日々の大半を占める、仕事や勉強に充実感や達成感を持たせることが
大切になってきます。

充実感や達成感は楽しいことをしているときのワクワク感とは違いますが、
仕事や勉強に追われる日々を乗り越えるための大きなモチベーションとなります。

仕事や勉強に充実感や達成感を持たせるには、それらが自分にとって「好きな分野」
「得意な分野」であれば、気持ちも一層前を向きやすいですから、
その分野についての能力を磨きやすくなります。

そうすれば結果も伴い、また努力を重ねるという好循環を作りやすくなります。

自分の好きなことを仕事にするのは、だれもができることではありませんが、

仕事にはできなくても、その好きなことについて勉強したり、調べたり、追究することはできます。

そうすることで自分にとっての「副業」や「仕事以外の活動」に発展したりします。

現在ではネットでいろいろな情報を入手、発信できるわけですから、
昔よりも何かと活動しやすくなっています。

「好きな分野」がなければ、「得意な分野」を基本にして人生を展開していくこともできます。

それほど好きではないけれど、苦にはならないし、スキルや知識も標準レベルより上であると
思えるものがあるなら、ぜひともそれを伸ばすべきです。

人に迷惑をかけたり、違法なもの、反社会的なものでない限り、
みなさんが「好きな分野」「得意な分野」は、必ずほかの人の役に立つはずです。

「自分の好きなこと」「自分が得意なこと」が見つかれば、人生の半分は成功していると言えます。

次回は「心をリセットする環境づくり」についてお話します。

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コメント

  1. いつも楽しみに勉強させていただいています。ありがとうございます!

  2. 幸せになりたいので、いつも参考にさせていただいています♫物欲が少し強いところがあるので気をつけるようにしたいですね(^-^;

  3. へいちゃんさん、いつもお読みいただきありがとうございます。
    あつこさん、「幸せになりたい」気持ちがあれば必ずなれますよ。
    っていうか、「幸せになりたい」と思った時点で、すでにその方向を向いているんですよ。あとは焦らず一日一日積み重ねていきましょう。

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