理解されることの難しさ

理解されることの難しさ

体験談

今日は私が高校時代に体験したことを書きたいと思います。前にも書かせてもらった通り私は不安障害を発症してしまい一時期は教室にもいることができなくなったり学校を休みがちになったりしていました。
ある日のことです、授業中に発作がおき、保健室に行こうとすると、あるクラスメイトが「おい○○またさぼるのか」といった発言をしてきました。言った本人は軽い感じで言ったようでしたが私にはかなりショックでした。この時、精神的なことっていうのは人に理解されにくいものなんだと思いました。肉体的なけが,例えば骨折とかなら目に見えるので人も気を遣ってくれたりしますが、精神的なことは見えないので理解してもらうということが非常にむずかしいのだとおもいます。こう書いている私も自分が不安障害になるまでは精神的なものというのはその人の甘えじゃないのかと思っていましたが、いざ自分がなったときこれは甘えとかそういった類のものではないんだなと感じるとともに精神的なことで悩んでいる人に対して申し訳なくなりました。やはり人間一回相手の立場になってみないとその苦しさや不便さを本当に理解することはむずかしいのだとおもいます。 駄文ですが読んでくださった方ありがとうございました。

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コメント

  1. 社会に出ると「目に見えないもの」に対して感受性がある人の方が貴重で重宝されると思うんですけど、精神的な問題は目に見えなくて内在的なことなので、経験していない人に理解してもらうということは非常に難しいと思いますね…

  2. 本当にそうですよね。経験した者として人の痛みに気付ける人間になりたいものです

  3. 私も精神のことで苦しい思いをしていました。今も完全に治ってはいないので、お気持ちすごく分かります。
    決してさぼっているわけではない、少し休憩しているだけです。
    休みたい時は休みたいだけ休めばいい。私はそう思います!!
    精神を、もっと理解してもらえる世の中になってほしいですね。

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